全国の望月さん

望月の望月さん

 望月氏を祖先とするといわれる望月氏は、望月にはおりません。なぜなら、戦国時代に武田信玄の信州侵攻により、敗れてより散り々に全国に流れて行ったからです。

 しかし信永院の正面扉には、武田菱の家紋と望月氏の七陽の紋が左右に並んで飾られていたり、石碑や瓦に七陽の紋や九陽紋が残され望月氏の流れの存在を物語っています。

歴史的な背景が知りたいところです。
  

九州の望月さん

福岡にもわが「まちけん」のメンバーの望月さんがいます。望月修三さんです。
彼はもう数えきれないほど望月に来て、精力的に活動をサポートしていただいています。


また、もう一方旧姓望月さんを紹介していただきました。


【まち研広報活動報告】  福岡支局員 望月修三 9月2日(日)

(訂正とお詫び、取材対象の丸塚様の職業を、当初、真言宗醍醐派(修験道)の住職と書きましたが、正しくは、真言宗醍醐派修験宗務所(管理)法輪寺の住職ですので書き改めました。関係各位の皆様に対しまして、ご迷惑をおかけし誠に申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます。平成25年10月10日 望月修三)


 福岡県築上郡築上町に在住の丸塚さん(旧姓望月さん)に会いに行き、信州望月が望月姓の発祥の地であること、望月の地名の由来、信州の奇祭榊祭り、望月は石仏の里、 まち研の活動、九州大分県臼杵市にも望月地域があり、望月さんが一軒あること。 などを説明しました。
 まち研新聞も手渡しました。

 彼女は真言宗醍醐派修験宗務所(管理)法輪寺の住職をされています。阿闍梨の資格をお持ちです。そのお堂は、昼でも暗い林道の中を車で5分ほど走り、一番奥まった開けた平地にありました。 連なる小山が馬蹄形をしており、馬蹄の内側に平地があり、馬蹄の開いた所に大きな溜池がありました。周囲の山から山に結界を張ってあるそうです。俗世界から切り離されたような不思議な場所でいろいろ話しを させていただきました。

 聞くと、彼女は九州の望月としての自分自身のルーツを長年探していました。修験道 で人を導き救う立場であり、是非ルーツを知る必要があるとのことでした。 失礼ながら年齢をお尋ねしました。私だけが知っていますが、とても護摩焚きをして加持祈祷 を行うとは思えないほどの妙齢の素敵なご婦人でした。まち研理事の方々よりかなり若いとい うことは言っておきましょう。!

 家紋も七曜紋や九曜紋で はなく、丸に違い柏でした。この柏紋というのは神職に携わる一族にしか許されない家紋とのこと。彼女は、大分県臼杵市望月の望月さんにも大変興味をもたれて、訪問していろいろお尋ねした いとの思いを強くしたようです。何かつながりがつかめるかも知れません。

 3時間ほどお話しをさせていただき、夕暮れ時になったので場所を食事処に変えて、ご馳走になり、 望月ルーツ探求の同好の士として楽しいひとときを過ごしました。

 その後、彼女は信州望月にお見えになり、「まちけん」メンバーと交流を深められて、早速、望月まちづくり研究会(まちけん)の賛助会員となられました。

静岡の望月さん

私の知り合いに望月さんがいたので、聞いてみました。
彼女は旦那の姓に代わったのであると。 そして、旦那の出身が静岡県の清水市(現在は静岡市) 鉄工所をやっているのだが、望月鉄工というのが何件もあるので、○○の望月鉄工と言わないとわからないほどだという。 コンタクトしてみたいなあ。清水市。



全国の望月さん大集合


駒の里 望月 平安時代献上された名馬の産地 満月を表す望月は 8月満月のころ信州からやってくる駒を想い その産地を望月と名付けたとか・・・?

和歌

   逢坂の 関の清水に 影見えて 
       いまや 引くらん 望月の駒
                       紀 貫之

  望月へ訪ねてくる人の多くに 望月さんがいます。 地元には 望月さんが少ないのですが 戦国時代 武田信玄から逃れ 各地に散ったとの事ですが 特別の縁を感じられるものです。

  望月三郎と言う名は、多くの伝説に登場し活躍されている様子から先人たちの故郷を想い伝える術だったのでしょう。
 甲賀忍者 望月三郎は、忍術の教祖だったとの話があります。望月地方は名馬の育て方や武術を、大陸から伝えられ新たな術に 変化して戦国時代に活躍したのではないでしょうか?

 望月の縁を 何か活かせる事が出来れば 楽しい事でしょう。

二人の望月さん 望月さん大集合のはじめの一歩